国内自動車メーカーの中で圧倒的な強さを誇るトヨタ自動車。その陰に常に隠れていたのが、業界2位の日産自動車です。経営のトヨタ、そして業界3位にして「技術のホンダ」という明確な強みを持っていた本田技研工業に対し、日産は「ブランドの日産」などといわれましたが、その中身は90年代以降、ほぼ形骸化。長らくユニークなアドバンテージを打ち出せずにいました。
そんな同社が1999年に迎えたのが、カルロス・ゴーン氏です。当時、日産は国内販売車種の9割以上が赤字に陥っており、総額2兆円もの有利子負債を抱えていました。活路を求めた同社は、フランスの自動車メーカーであるルノーと資本提携を締結。ルノーなどを立て直した実績を買われたゴーン氏が、日産の再建へ向けて動き出しました。
その後、ゴーン氏は日産を見事に復活させるも、2018年、自身の報酬記載に伴う金融商品取引法違反容疑で身柄を拘束されます。その後、知人の手を借りて日本を密出国し、2020年7月現在も逃亡生活を送っています。
2002年にレジオンドヌール勲章、2004年に藍綬褒章、2006年に大英帝国勲章を授与。
多彩な語学の才能を発揮し、ビジネスの世界で活躍
ゴーン氏は、1954年にブラジルで生まれます。その後、レバノン、フランスと渡り歩き、フランスのパリ国立高等鉱業学校で工学を修めます。
卒業後はミシュランへ入社
卒業後は、世界有数のタイヤメーカー・ミシュランへ入社。製造現場などを経て、工場長などの役職を歴任後、30歳の若さで南米支部のCOOに就任します。当時、ブラジルはインフレが悪化しており、同支部の業績は悪化。ゴーン氏はこの立て直しをミッションとしていました。ビジネスセンスはもちろん、ポルトガル語を含めた多くの言語(英語、フランス語、スペイン語など)に堪能だったことも、この抜擢の一因といわれます。
コストカッターとして称される
このミッションは成功を収め、ゴーン氏のミシュラン内でのプレゼンスを一気に高めました。また、その後「コストカッター」と称される経営手腕や、時に豪語を放つ強気な経営姿勢の礎は、この頃から既に発揮されていたといいます。当時、ミシュラン本社から早く成果を上げろとプレッシャーをかけられる中、ゴーン氏は「現場を知らない人間が騒ぐな。結果で評価しろ」といわんばかりの不遜な態度を取っていたとも噂されています。
そして実際、南米支部はゴーン氏の改革が実り、見事にV字回復。成功を収めたゴーン氏はその後、最大の市場である北米支部のCOOに、さらに1990年には同CEOに就任。グッドイヤーやブリジストンとの競争が加熱するアメリカにおいて、圧倒的なシェアの獲得を託されました。
42歳の若さでルノーの副社長にヘッドハンティング
北米でも成功を収めると、ゴーン氏は42歳の若さでルノーの上席副社長にヘッドハンティングされます。
ルノーの再建に貢献
当時、ルノーの経営はボルボとの提携失敗などで苦しい状況でしたが、ゴーン氏は不採算事業の徹底的な見直し、工場の閉鎖や再配置、部品調達コストの見直しなどを推し進め、短期のうちに経営を再建します。
その見事な手腕は多くの評価を集めた一方、苛烈ともいえるコストカットぶりから「コストカッター」「コストキラー」と揶揄されるようにもなります。彼は経営を再建しただけで、事業を立て直したわけではないという意見は、その後も根強く残り続けました。
コストカット以外でも活躍
またコストカットだけでなく、アメリカの同業企業であるユニロイヤル・グッドリッチの経営統合など、大型買収を成功させたのも彼の名を高めた要因です。ゴーン氏は、昔から経営における多様性を重視しており、その一面が窺えるエピソードです。
このようにルノーで大きな業績を挙げたゴーン氏は、その実力を買われて1999年、日産自動車のCOOに迎え入れられます。
強烈なコストカットで日産を再興させる
ルノーと日産の資本提携は、いわば経営に苦しむ者どうしがくっついた、苦肉の策でした。実際、当時の日産は200億ドルもの有利子負債を抱える「落ちこぼれ企業」。ゴーン氏は、このどん底に落ちた日本企業の再建を託されました。
日産リバイバルプラン
ここでもゴーン氏の「コストカッター」ぶりが発揮されます。日産の代名詞ともいえた村山工場の閉鎖や、日産グループ全体で2万人を超える社員の削減、さらに部品調達をルノーと共通化してコストを圧縮、1394社もの系列会社の保有株式をすべて売却して「ケイレツ」(日産自動車の関連企業を含めた連合体)を解体するなど、常識や商慣習に囚われることなく、削れるものはとことん削ってきました。
この計画は「日産リバイバルプラン」と呼ばれ、発表された当時は実現可能性に懐疑的な見方も出ていました。しかし結果は、2001年に早くも黒字転換を達成。わずか4年後の2003年には有利子負債をすべて返し終え、ゴーン氏の手腕の高さを国内に知らしめることになりました。天下りや系列企業の業績確保のために高コストを許していた古い経営体制から脱却した点を、むしろ評価する声も多く聞かれました。
25人の最強経営者と称される
この圧倒的な成果が称賛を呼び、アメリカFortune誌で「25人の最強経営者」に選出されるなど、その手腕は世界中から大きな注目を集めました。
ちなみに、当時のゴーン氏は、文字通り朝から晩まで働き詰めだったので、社内で「セブンイレブン」というあだ名がついたり、アメリカForbes誌で「過酷な競合が繰り広げられる世界の自動車業界において最も多忙な男」と形容されたりもしました。年間の日本とフランスの往復距離は、およそ25万キロに及んだとも言われています。
輝かしいキャリアから一転、国際指名手配犯に
その後、リーマンショックなどの苦境を乗り越えて日産を牽引してきたゴーン氏ですが、2018年に自身の報酬額を実際より少なく見せるため、有価証券報告書を偽造していた事実が発覚。金融商品取引法違反容疑で逮捕されてしまいます。その後、当局に拘束され、家族との面会もかなわない生活を送る中、日本の人質司法に対する不信から、楽器ケースの中に入ってレバノンへ密出国。現在も逃亡生活を続けています。
アメリカでは、証券取引委員会との間で100万ドルの課徴金で和解しましたが、日本の司法では今も無罪を主張して係争中です。ただ、彼の経営者としての手腕が優れていたことだけは、確かと言えるでしょう。